おうち探しスタート

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「もうここに住むのが辛い、引っ越ししたい」

とKはH君に訴えて、家を探す話が始まった。

・・・が、私が居なくなった今、辛い・悲しい気持ちからではなく、

新たな土地で2人で協力しながら幸せな人生を紡いでいく。。。

そんな前向きな気持ちでの引っ越しであれば私も背中を押したい。

生きていればあれこれ協力してやりたいところだが、ここはそっと見守って行こう。

「なんでもH君と相談してやっていきなさい」と私が言い残した言葉だけはしっかり伝わっているはずだから。。。

 

Kの希望は昔から住みたかったH君の生まれ育った町に引っ越す事だった。希望は一戸建てで平屋か2階建て。

H君は職場は今より近くなるが、逆にKの職場が遠くなるのを懸念していた。場所は問わず、希望はマンションで新築、中古マンション購入、良い物件がなければ賃貸でもかまわなかった。

H君の地元は地価が高めなので、一戸建て購入はハードルが高い、

海や山に囲まれて広い街だが、共働きの2人にとってはある程度の利便性も必要だ。

 

Kは思い立ったらじっとしていられない性格なので、即座にネットで色々探しはじめ、片っ端から物件資料を取り寄せた。

一戸建て、中古リノベーション、マンション・・・

H君もネットで色々調べたりしていた。

 

さて、どうなっていくのやら。。。

 

 

 

決意

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3月21日、今日は四十九日の法要の日を迎えた。

とっても感謝!本当に今までありがとう。皆んな、愛しています。

・・・という想いを胸に旅立つ決心を固めたが、この先は本当の意味であの世に向かう、、、つまり極楽浄土に行けるか否かの瀬戸際で、不安とまだこの世へ後ろ髪を引かれた状態だった。

 

娘のKが毎日毎日深い悲しみに暮れ、でも何とか仕事に主婦業に日常を

こなしていたが、ふとした時に私を思い出しては泣いていた。

近くに住んでいたので毎日、朝・晩と私の元に来ては色々な話をしたり、休みの日には度々、H君と3人でご飯を食べたりお出かけしたり。

今までよく、入退院を繰り返し世話を掛けてきたが、私がたまに「こんなお母さんでごめんね。」と謝ると、「お母さんは生きていてくれるだけでいいからね」と言ってくれた。

私は娘の重荷にならないよう、少しでも娘の力になれるよう年を取っても頑張ってきたつもりだった。

娘は娘なりに私の存在が心の支えとして日々ある中で、一緒に生きて来たんだな・・・

と解った。

 

私がこの世を去ってからある日、KはH君にこう切り出した。

「もうここに住むのが辛い、引っ越ししたい」と。

今の家では何処へ行くにも近所を歩くにも買い物をするにも私を思い出しては悲しくて仕方がないらしい。。。困ったものだ。

H君はすんなりKの気持ちを組んでくれて2人で家を探す話をし始めた。

Kは昔からよく「将来、私は〇〇に住みたい」と口にしていた。

H君の生まれ育った場所は偶然にもその地域だ。

Kと結婚するまでH君は地元で暮らしていたが、病弱な私を思いこちらに来て住んでくれていたのだ。

もう、これはH君の地元に引っ越すしかない。

 

そして法要の日、私は不安と寂しさと悲しみで朝から大泣き。

晴れ女の私がバケツをひっくり返したような雨を降らせていた☂

そして、住職のお経が始まり審判の結果、、、

見事に極楽浄土行きが決定した!!!

安堵と嬉しさと安らかな気持ちで一杯になり、法要が終わる頃には心も天気も晴れていた☀

 

「ありがとう!行ってくるね!天国から見守っていきます✨」

 

ありがとう

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「なんでもH君と相談してやっていきなさい…」

突然の死を迎えた混乱の中、旅立つ前にようやくこれだけはKに届ける事が出来た。

・・・ようやく決心が着いたとはいえ、色々な想いが込み上げてきた。

私はこれから何処に行くのだろう。。。

身体は軽く、痛みも重みも何もない。

ただ不安と葛藤と感謝と悲しみと何とも言えない思いに包まれていた。

 

KもH君も深い深い悲しみの中、私を送り出す準備を整えてくれている。

Kからは、手紙と大好きなブルーマウンテンのコーヒー、私の生前の愛用品を最後の母の日にプレゼントしてくれたお気に入りの真っ赤なトートバッグに詰め込み、持たせてくれた。

コロナ禍の大変な時期に、妹や姪も子供たちと一緒に家族葬で見送る準備をしてくれていた。

 

棺には姪たちが用意してくれた真っ赤なカーネーションが敷き詰められ、真っ赤なダリアが散りばめられ、そして胸には真っ赤なカーネーションの花束・・・

そう、私が生前、娘のKによく、

「私の葬式には白いお花じゃなくて真っ赤なお花にして欲しい」・・・という願いが叶えられたのだ。

 

とっても感謝!本当に今までありがとう。皆んな、愛しています。

 

そして私は骨となった…。

 

 

Sanaのおうち

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2021年2月2日、突如私はこの世を去った・・・

予想もつかない突然のことで母子家庭で必死に育てた一人娘のKと、義理の息子のH君には何も別れの言葉も残せずに逝く事になった。

 

ただ…やっとの思いで、娘のKにはあの世に旅立つ直前にただ1つ、

夢枕で何とか声だけで思いは伝える事が出来た。

それは、、、

「なんでもH君と相談してやっていきなさい・・・」といこと。

 

今までは私が娘のKの傘となり必死で守って来たが、H君に娘を託しようやく安心して逝く決心が着いた。

 

やれやれ、この先2人でどう生きていくのやら。

遠くの空から見守ることにします☆